長生きしたくない日本人
「人生100年時代」と言われ、敬老の大切さが説かれるにもかかわらず、日本人は「そんなに長生きしたくない」と思っている人が多いのである。博報堂「100年生活研究所」が6カ国を対象に行った調査によると、日本で「100歳まで生きたい」と答えた人の割合は わずか27.9%。アメリカでは66.6%の人が「生きたい」と答えているのに対し、日本は断トツの最下位でした。
日々我々はケアマネジャーとして高齢者と接している。その人たちは、ある意味、十分長生きしてきた人達でもある。「長生きしすぎた」「早くお迎えに来てほしい」「子供たちに迷惑をかけられない」と嘆きともいえるような訴えを聞くことが多い。こうした話を聞いていると、とても長生きしたい、頑張って100歳まで生きよう、という気持ちにはなれないのが正直なところであるである。長寿大国でありながら、「長生き願望」が低い、日本の高齢者をめぐる実態を見る思いである。
調査結果を説明することはできない。
こうした長生きに対する日本人のネガティブな態度を、「人に迷惑をかけたくない」という日本人に固有な集団主義的な心理として説明する意見もある。高齢になればなる日々我々はケアマネジャーとして高齢者と接している。その人たちは、ある意味、十分長生きしてきた人達でもある。「長生きしすぎた」「早くお迎えに来てほしい」「子供たちに迷惑をかけられない」と嘆きともいえるような訴えを聞くことが多い。こうした話を聞いていると、とても長生きしたい、頑張って100歳まで生きよう、という気持ちにはなれないのが正直なところであるである。長寿大国でありながら、「長生き願望」が低い、日本の高齢者をめぐる実態を見る思いである。
こうした高齢期に対する否定的な気持ちを生み出すものには、心身の健康を害し、不安定な経済的基盤、社会的繋がりや生きがいの喪失といった「喪失期」としての高齢期があることは否定できない。ただしこれだけでは、先の博報堂「100年生活研究所」の調査結果を説明することはできない。
こうした長生きに対する日本人のネガティブな態度を、「人に迷惑をかけたくない」という日本人に固有な集団主義的な心理として説明する意見もある。高齢になればなるほど、医療や介護の必要性が高まることは避けられない。しかし、家族や社会に負担をかけることへの罪悪感が、長寿願望を阻害する大きな要因となっている、というのである。
かって、「老後には2000万円が必要」といわれ、話題となったことがあった。現実にも年金や医療費に関する将来不安は根強いものとなっている。長く生きれば生きるほどお金が足りないのではないかという不安は、長生きを喜べないものとしている。
テレビ、新聞、インターネットなど、様々なメディアでは、高齢者に対するネガティブな情報が拡散されている。「認知症の増加」「高齢者の医療費負担」「高齢者の事故」など、老いを「問題」として捉える報道に、我々は日々さらされている。さらに、現役世代の保険料負担が高いのは高齢者の存在であるかのように、世代間対立をあおっている、今の政治の在り方も無視できない。
こうした「老いることはマイナスである」という考え方を生み出している、今日の高齢者をめぐるいくつかの原因にふれてみたが、これは,老い衰えていく喪失期としての高齢者という生理的、自然な老いとは別に生み出される、今日の日本の社会的な仕組みの問題であると、私は考えている。ほど、医療や介護の必要性が高まることは避けられない。しかし、家族や社会に負担をかけることへの罪悪感が、長寿願望を阻害する大きな要因となっている、というのである。
かって、「老後には2000万円が必要」といわれ、話題となったことがあった。現実にも年金や医療費に関する将来不安は根強いものとなっている。長く生きれば生きるほどお金が足りないのではないかという不安は、長生きを喜べないものとしている。
テレビ、新聞、インターネットなど、様々なメディアでは、高齢者に対するネガティブな情報が拡散されている。「認知症の増加」「高齢者の医療費負担」「高齢者の事故」など、老いを「問題」として捉える報道に、我々は日々さらされている。さらに、現役世代の保険料負担が高いのは高齢者の存在であるかのように、世代間対立をあおっている、今の政治の在り方も無視できない。
こうした「老いることはマイナスである」という考え方を生み出している、今日の高齢者をめぐるいくつかの原因にふれてみたが、これは,老い衰えていく喪失期としての高齢者という生理的、自然な老いとは別に生み出される、今日の日本の社会的な仕組みの問題であると、私は考えている。