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つぶやき

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ケアマネのつぶやき

要介護高齢者の生きる目標,価値観を考える(その2)

 

 その1より、その高齢者にしかない暮らし方、老い方、願いを描き切れていないのが、現在のケアプラン作成上の課題ではないか。こうした面で、ケアマネジャーが困難を感じている要因には、今日の要介護高齢者自身の現状が反映されている。老いは死を間近にひかえることとなり、残された時間を限りあるものとして考えざるをえなくさせる、未来の時間は限られたものとなる。また、肉体的な衰えはその能力の低下とともに可能性を狭隘化させる。さらに病とそれに伴う苦痛は、要介護高齢者にとって未来への希望(目標)、自己実現への欲求を萎えさせる、時として生きる意味を見失うこととなる。「早くお迎えに来てほしい」そうした要介護高齢者を前に、要介護高齢者のケアプランの長期目標を描こうとするケアマネジャーの筆は、止まってしまっているのではないか。

 ではここでもう一歩進めるとすれば、何ができるのであろうか。                              最初に、高齢期は喪失の時期であると記した。ただし、これは高齢期の一般的な特徴を示すものであり、一人一人の高齢者の老い方は様々である。人は生きてきたように老いていき、死んでいくのである。若いときから社会活動に積極的に取り組んできた高齢者にとって、そのネットワークは老いても財産となっている人がいる一方、会社人間として生きてきた男性の高齢者にとって、地域のつながりをつくることは簡単ではない。週2回訪問するヘルパーさんとの会話が唯一の口を動かす機会という高齢者もいる。孫やひ孫と会えることを唯一の楽しみにしている高齢者は少なくない。普段は一人で暮らしていても、息子や娘たちが帰る盆や正月を指折り数えて、孤独に耐えている高齢者もいる。家族はいなくても一緒に暮らす動物が、高齢者の心の支えとなっている人もいる。一方、家族関係に葛藤を抱えてきた高齢者は、要介護状態になって厳しい現実に立ち向かわなければならない。それはその人の死にも影を落とすこととなる。親の死亡を伝えるケアマネジャーに「関係ないので」という息子。やむなくケアマネジャーは葬儀の手配をすることもある。場合によっては、その高齢者の死をもってしか和解できない親子関係だってある。

 人生の晩年を迎え、様々な喪失体験を経ながら、そこに綴られる老いは多様である。かって、島倉千代子という歌手の歌に「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの」という歌詞があったが、「高齢者もいろいろ咲き乱れ」ていいのだ。ただしどのように高齢期を咲き乱れるか、そこにはその人が生きてきたストーリーがあり、そして、これまで生きてきた延長線上にしかその高齢者の老いはない。要介護高齢者の生きる価値観や、その人らしさを知る上で、その方の今までの人生の道を振り返り、共有する時間はとても大切である。むしろその人らしさを支援するヒントがたくさん詰まっている。そこにこそ要介護高齢者のその人らしい老い、暮らしの姿を描く可能性があるのではないか。

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