「介護の社会化」とケアマネジメント
介護保険は、「家族の介護負担の軽減」「介護の社会化」を掲げて出発した。しかし、今や「介護の社会化」という言葉は介護保険の世界では死語に近い状態にあると言っていい。時折、介護離職が問題とされることはあるが、それが介護保険によって解決されるということにはなりそうもない。
そして今、ケアマネジメントの世界では逆に家族支援が重要だとされている。確かに現場での高齢者介護のケアマネジメントにおいて家族を視野に入れた家族支援は避けて通れない。
この「介護の社会化」という課題と家族支援はいったいどのように考えればいいのであろうか。「介護の社会化」は家族内労働の社会化として、社会発展の必然的な流れの中に位置付けられるものであり、大きくはその流れは変わらない。であるとすれば、今の介護保険の中でのケアマネジメントは家族をどのように考えるべきであろうか。ともすると家族支援の重要性の強調は、当初目指した「介護の社会化」に矛盾するものではないかとも考えられる。
この問題の根本は、介護保険が家族介護を前提として設計されているということにある。要介護度別に設定された区分支給限度額は最もそれを示している。たとえば家族の支援が期待できない要介護4・5の高齢者のケアプランを考えた場合、支給限度額の範囲でそうした高齢者の在宅生活を支えることは困難である。在宅生活を希望する要介護高齢者にとって家族等による介護は不可欠になっている。さらにヘルパーが不足している現実の中で、たとえ支給限度額内であっても要介護4・5の高齢者は在宅生活をあきらめ、施設へと舵を切らざるを得ないのが介護現場である。この間の一連の介護保険改定による介護保険の変質は、ますます「家族の介護負担の軽減」「介護の社会化」の実現から遠いものとしている。
一方こうして在宅生活を断念しなければならなかった高齢者は施設入所となっていく。
しかし、介護保険施設に入所できる人は限られており、それが叶わない高齢者は有料老人ホームやサービス付き高齢者住宅等に入居することになる。施設に入所して介護を受けることもそれはそれで「介護の社会化」に他ならない。ただし、この社会化は公的介護保障として用意されるのではなく、市場原理に基づく民間の介護サービスとして提供されるということである。
厚労省はこうした有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅のサービスが施設の運営主体や関連事業所のサービスが集中的、限度額一杯に提供されていることを不適正であるとして、ケアマネジャーにそうしたプランを作成しないように指導している。しかし、これはどだい無理な話で、サービス提供をいったん民間市場にゆだねた以上、何の権限も持たない一介のケアマネジャーにそれを求めるのは酷な話である。「介護の社会化」が公的介護保障としてではなく民間市場にゆだねられたことによる矛盾であり、その結果の後始末をケアマネジャーに求められているのか今の現実である。
さて、話を在宅のケアマネジメントに戻そう。家族の支援が不可欠な中で、ケアマネジャーが作成するケアプランには家族による介護が社会資源として位置づけられている。時には、家族支援をケアプランに位置付けるような指導さえ行われている。こうしたケアマネジメントにおける家族介護の位置づけは、「介護の社会化」という視点から見たとき、ケアマネジャーは無批判に家族介護を社会資源としてケアプランに位置付けることがあまりにも多すぎるのではないかという反省がある。ケアマネジャーはいまいちど「介護の社会化」に思いを致す必要があるのではないか。そして公的介護保障の在り方を追求する努力が必要ではないであろうか。
では現実のケアマネジメント実践の中で、家族介護をどのように考えていけばいいのかという問題はなかなか難しいと考えている。ただし、次に記す埼玉県ケアラー支援条例の第3条「基本理念」「1、ケアラーの支援は、すべてのケアラーが個人として尊重され、健康で文化的な生活を営むことができるように行われなければならない。」という指摘は我々のケアマネジメント実戦に対し、貴重な示唆を示しているように思う。