痛む高齢者
正月早々縁起でもないといわれそうだが、今回は痛みについて考えてみた。
利用者の中に、毎回訪問するたびに痛みを訴える人がいる。時には痛い場所がどこなのか,本人にもよくわかっていないのではないかと思う時もある。こうした痛みを慢性疼痛と言うそうである。腰の痛みやひざ関節の痛みを訴える人、ヘルペスの後遺症としての神経痛はかなりしつこく痛みが続くようである。様々な痛みは高齢期になると避けて通れないのかもしれない。しかし、中にはなぜその痛みがあるのか医師からも適切な説明がなく、その原因がよくわからない痛みもあるようだ。書物によれば心因性のものもあり複雑な要因が慢性疼痛の原因となっていると書かれている。
こうした、毎回訪問時に繰り返される痛みの訴えに対し、我々はどのように対応したらいいのか。医師でもどうしようもないこうした痛みに、素人のケアマネにはなすすべがないのであろうか。
頭木弘樹は痛みについて様々な角度から分析した「痛いとこから見えてくるもの」の中で次のように述べている。「『痛い、痛い』とずっと言っていると、人が離れていきがちだ。痛みをわかってもらえなくて精神的に孤独になり、さらに人が離れていって実際に孤独になる。痛いうえに、孤独がもれなくついてくるのだ。」※と言っているが、我々もそうした高齢者と接することは少なくない。痛みを訴える利用者のケアはケアマネジャーにとって難問である。
「痛いんですね、大変ですね」という安易な共感も毎回では白けてしまう。所詮、痛みはその本人にしかわからないものと達観するのも違うように思う。痛みに意識を集中する利用者の気分を変えようと、意識的に別の話を持ち出して対応してみることもある。語ることでその痛みが少しでも軽減することができるのでは、と思いひたすら聞くことに努めるときもある。痛みは多様であるように利用者に対する対応もそれぞれの違うことになるのかもしれない。先に紹介した頭木は、自分の痛みが他者に本当に理解されたと思う時の感動は大きく、いつまでも続くと語っている。そして「痛みは人と人をつなぐ」とも。痛む高齢者と我々はつながれているのであろうか。
(※「痛いとこから見えてくるもの」頭木弘樹著 文藝春秋)