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ケアマネのつぶやき

人生の最期のステージの選択

 高齢期になった人が急性期病院に入院後、その病気にもよるが、かなり早い時期から退院を求められる。その時、退院後どこに生活の場を求めるかは、その人の最晩年の人生の質を大きく左右することとなる。

 住み慣れた在宅に戻ることができる高齢者は幸せな人たちであると言ってもいい。何らかの理由で家に帰れない人たちが少なからずいる。そうした高齢者の一つの選択として、子供たちの家に同居を求めていく(引き取られていく)人たちがいる。たとえ親子とはいえ、長年離れてそれぞれに家庭を築いてきた親子の同居が必ずしも高齢者にとって幸せをもたらすとは限らない。要介護の状態にある老親の介護を伴った親子の生活は双方に新たな確執を生み出すことになる場合は少なくない。その高齢者がどのような思いで子供達との同居生活を描いていたかはわからないが、比較的早い時期に、近くの施設入所になったということを、しばらくしてから聞くことはよくある。

 病院から施設入所となる人たちもいる。この場合の選択権は主に家族にあるようだ。在宅で転倒の危険がある人や認知症を持つ一人暮らしの高齢者にとって在宅での生活はリスクが多く、その面では施設入所は高齢者の晩年の暮らしの場としてふさわしいものとなる。問題はその選択にあたり高齢者自身がどのように関わったかという点には疑問が残ることが少なくない。もし高齢者が在宅生活を希望した場合、その意思を尊重し、介護保険サービスを利用して在宅生活の可能性を探り、双方の意向を時間をかけ十分のすり合わせる努力をしてもらいたいし、そのためにケアマネジャーをもっとうまく使ってもらいたいと思う。いずれにしてもどちらかが正解という問題ではない、そのプロセスが問題だと考えている。目的が本人の意志とは別に他者によって設定されるとき、そこには深刻な疎外が生み出され、生きる意味の喪失につながることがある。

 なかには施設ではなく病院を選択する家族もいる。この場合の病院とは、かって老人病院と言われた療養型病床や介護医療院をさす。経管栄養や喀痰吸引等の日常生活上に医療処置が必要な人が入所する施設であるが、しかしなかには「病院に入っていれば安心」と考えてこの選択肢を選ぶ家族がないわけではない。これらの病院は一般の救急対応の病院とは違い介護が重要な役割を果たすとは言え医療施設である。そこには生活という視点は限りなく希薄であり、人生の最晩年をそこで医療的管理の下で過ごさなければならないとすれば、それはあまりにも惨めであるといえる。

 

こうした人生最後の選択に際しては、病院のMSM(医療ソーシャルワーカー)やケアマネジャーが連携して支援にあたることとなる。ケアマネジャーは高齢者が望み、在宅での生活の可能性があれば最大限その実現に向けて奔走することになる。ところが今は「大丈夫、在宅で介護サービスを利用して頑張りましょう」とは言えなくなっている。なぜなら在宅生活を支えるホームヘルパーさんがいないのである。ケアマネジャーにとって、何よりも高齢者にとって受難の時期を迎えている。

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